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他メーカー

2016年10月20日 (木)

個人的に”ブルム”を擁護する話

 長年コレクションを続けて参りました。F1の話で言えば、昔から言いますと大抵の方はONYX、QUARTZO,PMA、SPARKでしょう。

 が、私はココで言いたいのであります!。ブルムと言うメーカーの存在を!!。「フェラーリ=マテル」そして「フェラーリ=ブラーゴ」(SPARK関係おいといて)、それでもイタリアと言うこともありましょうが、頑張っているのもブルムです。
As61ブルム
1980年イタリアGP
312T5 126C
ジョディー・シェクター、ジル・ビルヌーブ


 
 ジル ファン(これ越すドライバーは皆無なのが自分であります)にとっては、です。312T5は当時も今も”駄馬”と語られます。やむなくV12諦めて、ターボ登場として。イタリアGPにフリープラクティスにて登場しテストしたのが126Cでありました(エンジンの決定は後述しておりますので、探してください)。312T5はあまりに”駄馬”でジョディー・シェクターは引退します。前年王者が予選落ちするんですから、そりゃぁ嫌になるでしょう。

 が、問題なのはブルムを扱う店舗が無くなりつつあります。値段が高い?売れない?。わからないではないですが、このモデルはF1史上ではアリだと・・・なんですが(ティフォシの考えだけ?)。でも本当に国内で入手するのが困難な状況。だってショップで「ブルムは仕入れませんから」と言われたことがありますもん!。何やねんそれ。

 私は確実に欲しいので海外から入手しました。もう国内は安心できないと。価格が1万円近い差が出るのはなぜだ!!、Kよ!!。ジル ファンですから。T4のアメリカGPだって国内販売無かったですもん。しかし、単に国内価格が「高いから」と販売スルーするのはどうなんだよ?と思うのであります。ティフォシのバカ、と言われましても甘んじて受けます。歴史の1ページと言ったら、これまた”大バカ”でしょうし。

 これを扱った店舗。ずっとみましたが非常に少ないですし完売も多いです。発注を控えたか。LTD.250ならば考えてもいいでしょうに。

 まぁいいですよ。単なるティフォシとジル ファンの話ですから・・・・・・・・・・・・・・・。

  「今は昔~」だよなぁ・・・。ちなみに今度はジム・クラークのロータス33を再販するんですから・・・。でもスゴイ メーカーだと思いますよ、本当。

 でもね、「歴史」を重んじるショップや個人には、ぜひとも持って頂きたいのですがぁ・・・。ダメですかね??。

2016年10月 3日 (月)

最初の1台

 すみません、ちょっと仕事で”場”を離れておりまして。「もうやめたのか?」と思われた方もあったそうですが、12月まではやりまっせ。

まぁいいですよ、お客様とは言え「アンタらの方が詳しいだろう?」にも関わらず、イベントに「私等はわからないから来てくれ」と。地元ですよ!、土曜日の早朝から安ビジネスホテルに宿泊。朝6時に集合し、ホテルに戻れるのが夜11時くらい。そして、そこから「わからないんで」「質問を受けて」・・・寝れたのは3時近かったと。食事もとれたのが昼くらいでした。

 あのねぇ、まぁいいや。しかし痴呆じゃない地方公X員のやることですよ、「お金が無いから宿泊費は出せない」。これ最後に言いますから。日曜夜に帰るつもりが、また始まりまして。「食事しながら、なんて」で、食事代は割り勘。それが見えていたのでお酒飲まずに、ホテルを4時過ぎに出発。自宅で寝てから、先ほど帰社したと。

 さて本題に行きましょう、オシマイと言いましたので、今回は古い話です。自分に対する”思い出”だけであります。

 若い頃はずっと車やAFVのプラモデルが趣味の中心でありました。が、まだ当時は知識も素材も少なく、自分なりに作っておりました。が、やはり納得できなかったのでもあります。

 戻りますが、かなり以前「プラモデル作っているが接着が出来ない」と相談されたことがあります。接着に”木工用ボンド”使っていたんです。そりゃ無理ですよ。↑同然。

 他県の大学に入学し、その地の大手ホビーショップで見つけたのが、今に繋がる1/43ミニカーでありました。当時ミニカー=トミカでしかなく、「トイじゃん」でした。が、コレを見た瞬間「何、コレ!?」と驚きました。今も覚えておりますが最初に購入したのが

ImagesBANG
フェラーリ250GTO


 でした。本当はロードカーかつフェラーリ・レッドが欲しかったのですが、店頭にはコレとシルバーでしたかブルーでしたか、それしかなく、一番気に入ったモデルを買いました。ただ、どのレースに出場したのか覚えていません。スパだったのか?。これが1台目であります。ティフォシでありますし250GTOは今でもカッコいい。

 そして数日後もう1台購入しに

Sl1000BOX
AC コブラ


 カラーは”コブラ・ブルー”でした。この2台は間違いなく87年に購入しています。下宿生活でしたが、バイト代が海外1/43ミニカーに変わっていく。たしか当時は¥1,500位だったお思います。一人暮らしには、こたえましたが。食事がポテチに変わるなんて毎度でした。

 88年だったかもしれません、旧ビテス WRCランチア・デルタHF 1987も買いました。これはサイドミラーを自分で接着しないといけなかったんです。あの旧ビテスBOXでした(画像が見つけられず)。これまた「こんなミニカーってあるんだ!」と言う、当時では良い出来でした。

 実は就職が決まり、引っ越しの際にミニカー数台他を詰めた箱を、引っ越し業者が無くしてしまい、今は手元にありません。頭来たんで5万円位もらった覚えです。なので画像は拝借。

 こう言ったモデルは当然好きでしたが、88年から急に旧ビテス グループと言うかブランドと言いますか、F1とGr.Cを始めまして。昔からF1好きでしたが良いモデルや現行マシンがない。Gr.Cも当時ピッタリでありますから、これらを買う様になりました。で、色んなショップをまわりましたねぇ。

 今ではありえませんが、88年F1マシンの実車(ショーモデル)やミニカーがデパートに並び、F1専門コーナーなんてのがありました。なので比較的買いやすかったです。ただ88年モデルに関してはヘルメット触ると、プリントがはがれる、なんてこともありました。そして中嶋やセナ等は完売が続いていました。本当にF1バブルでした・・・。

 その旧ビテスもPMAに押されたのか、結果解体に。現在そこから派生したメーカーixoやサンスター、新ビテスに金型が流れた、と言うわけです。

 しかし本当に懐かしい。また、もし引っ越し業者がミスしなければ、本当思いますよ。引っ越し前にF1他”お気に入りモデル”を自宅に持って帰ったのは、今思えば正解でありましたが。

 でもBANGは今でも買える、と言うのは何となく・・・まぁ良いですけども。他により良いモデルが出ちゃったんですから。

 

2016年4月19日 (火)

古いが面白い時代

 案の定、CS放送中のTV版「日本沈没」が途中で中止となりました。仕方がないですね。そう言えば東日本大震災の際にも「スパイ大作戦」”プルトニウムを奪え”の回が割愛されました。

 さて1980年に、フェラーリ最大の”駄馬”である312T5の話は何度も書いております、ごめんなさい。時はヴェンチュリーカー、水平対向12気筒エンジンでは、V8コスワースのコンパクトさには負けたわけです。そこでルノーが始め「ティーポット」と言われた”ターボ”エンジンに移行していきます。312T5は前年度チャンピオン、ジョディー・シェクターすら予選落ちにする駄馬でした。引退しますし。

Img_2819ブルム
 フェラーリ312T5+フェラーリ126C
 1980 イタリアGP

 ここで予選のみジルのドライブにてターボ車が出てきます。
最終的にKKKのターボを選ぶわけですが、COMPREX社の船用ターボも試されます。

 そして、この126Cは312T5よりも速いことが判り、翌年から更にシャシーを開発しターボ・エンジン+ヴェンチュリーカーになります。

 今でもジル・ファンでありますが、翌年はターボ・エンジン云々よりも信頼性が乏しく、またシャシーもターボ・パワーにかなわない。しかし歴史に残る2勝を挙げます。

 そして82年に126C2にて同僚のピローニとの確執もあり、亡くなると。もしサンマリノGPがなければ、否ジルが冷静であったならばチャンピオンを獲れた年であります。

 この時代は確かに安全性の問題は置き去りでしたが、各チームのアプローチが面白い時代でありました。が、ドライバーの身体に異常を来すほどでもありましたが。

 古い話で恐縮ですが、改めて”面白い”時代であった、これは言えるかと思います。

 

2016年3月12日 (土)

琴線に触れる1台

 時代は1978年、前年度日本GPを走った”コジマKE009”。78年から”カウーゼン・チーム”と共同でF1に参戦計画が持ち上がります。マシン開発はカウーゼンが、ドライバーは日本のF2で走ったケケ・ロズベルグが・・・が資金難他で頓挫します。

 そしてカウーゼンが自らチームを立ち上げ、79年から参戦したマシンが

Wk1CP-MODELS
カウーゼンWK1
パトリック・ネーヴ
ポールリカール・テスト

 どうです、この可愛いカラーリングは!。が競争力の無い為に改良されます。ドライバーもジャンフランコ・ブランカテリに交代、と言っても資金は尽き、メルツァリオ・チームと合併吸収されます。私等には「カウーゼン=コジマ」があり、その後は珍車になったWK1として記憶されております。後にメルツァリオも撤退。

 しかし相変わらずのCP-MODELS、上手いところに目をつけるものです。出来は悪いですが。

 

2016年3月 4日 (金)

駄馬がやってくる!

 ブルムによる、勝手に付けました「ジル・ビルヌーブ・コレクション」の最新作、到着案内があり今日取りに行きます。

T5ブルム
フェラーリ312T5
ジル・ビルヌーブ
ブラジルGP 1980

 私はブルムの”ジル・シリーズ”(126シリーズが正解か?)好きなんです。タイヤの成形も良くなりまして、既に発売されているマテルやPMA品よりも好きなんです。ディフォルメが上手いのでしょう、カッコよく見えます。

 312Tシリーズの最後のマシン。前年度はジョディ・シェクターがチャンピオンに。しかしベンチュリカーがメインになった時代、水平対向12気筒エンジンかつ進化型では全く通用せず。前年チャンピオンのシェクターすら予選落ちを経験し、引退と言う”駄馬”中の”駄馬”です。で、結局ターボ・エンジンに活路を見出すことに。

 マテルが早々に発売しましたが、これがデザイン破綻していまして。これは期待です。しかしブルム、なんでこんな高額になったんでしょうか。代理店には申し訳ないですが、欧州は販売価格が¥6,000円程度。円安だから、と言ってもおかしいですよねぇ。某店舗が代理店になった、と聞きましたが、その店舗は今は案内出していません。何があったのか?。

 は、ともかく、ジルを愛するブルム。次は312T3そして312T2でしょうか。マテルからはフェラーリ加入最初のマシンは発売されましたが、日本GPはなし。正直312T5では伸ばし様がないですから、来年以降期待しちゃいます。

 余談:海外では312T4のアメリカGPが販売されています。モナコGP同様にリアカウルと一体にしテストしたマシン。決勝は通常のウイングで走りますが、これスルーと言うのも解せない話であります。

2016年3月 3日 (木)

待望!

 待ちに待った待望のモデルが到着いたしました

Img_2744KB/プレミアムX
マキF101
速見 翔 テストカー1974

速見 翔は本名「新井鐘哲」氏でございます。アニメの主人公か!てな名前。

 日本初の”コンストラクター・チーム”として、”日本F1のマイルストーン”として貴重に感じておりました。で、様々なショップに「別注してくれ!」と散々断られきました。いや冗談ではなく本当の話で。

 同マシン、以前にも書いております。マナと言う国内コンストラクターが、いわゆる”マルチ商法”の会社から資金援助をもらい、F1に参戦すると。

 が、当時は今ほど情報がない時代。取りあえず製作し、”マルチ商法”から資金が出ているのはまずいだろうと、英国で発表しテストしたらば全くF1とは縁遠いものだったと。発表段階ですでに資金がない。”マルチ商法”会社のやりそうなこと。が、とにかくテストだ、と走らせてみた所、これが全く歯が立たない。そして改造を加え、Bスペックが完成しますが結局予選通過できず、と。

 悲惨と言えば悲惨な状況。資金は日本から来ない、これ以上どうしたら良いかわからないまま、現地で試行錯誤されます。翌年は”シチズン”がスポンサードしてくれますが、もはや限界。76年 F1 イン ジャパンにて解散。が、そのメイン メンバーがコジマ・エンジアリングに参加し・・・。

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 唯一でありましょう、マキの詳細な特集を組んだ

 レーシング・オン467号

 これに貴重なインタビューやマキからコジマに至る経緯も詳細に掲載してあります。大袈裟ではなくバイブルになっております。何度読んでも面白い。

 やはり”プロ”と”素人”での情報収取能力は違いますねぇ。お恥ずかしい話「マキって一体なんだったんだ?」と自身で調べたことがあります。が、ほとんど実態が判らずじまい。当時の書籍も探しましたが「謎のコンストラクター」的な扱い。しまいには”F101公開オークション”なんてありまして(同書にも掲載がありました)。これが発売されて「なるほど」ばかりでした。1台は日本に現存しているのは知っておりました、が、その後は・・・長野県のカーショップに存在し、それが広島(新井鐘哲氏の故郷でもありますが)でレストアされ、グッドウッド・フェスティバルに参加したのも御存じの方も多いかと思います。
 さて、モデルです。本当にシンプル。「えっ手抜き?」かと思ったのですが、写真と比較すると同様です。

Img_2747 ただ残念なのが、モデルは広島でㇾストアされたモデルを再現しているので、実際にテストしたマシンとは”日の丸”の位置とかが違うんです。

 同時に発売されたプレゼンテーション・カーは英国ホテルで発表されたモノと変わりがないのですが。KBさんも気づいてほしかったと思います。
 当時のF1はティレルに代表されるような、スポーツカー・ノーズとロータスのウェッジ・タイプに分かれていました。結局ロータスのアプローチが正解と動いていた際に、前輪が隠れるほどのスポーツカーノーズ、そして空気抵抗の大きそうなエア・インテーク。そして”空気層の圧力の違いでエアが入るであろう”と考えられた、サイドポンツーンと平行なラジエター。全て失敗に終わります。74年のチャンピオンマシンはマクラーレンM23、E.フィッテパルディですから、それだけでもアプローチは失敗だったと。

 笑える話ではありません。今みたく海外情報が簡単に手に入る状況じゃない訳で、実際に現地行って「これはアカン」と。しかし、よくぞ情熱だけでF1に参戦したものだと思いますし拍手を送りたいです。一度も予選通過していないんですけども。

 当時シルバーストーンでテストしたそうですが、他チームから教えを請うたり、アドバイスされたりしたそうです。古き良き時代です。

 マキからコジマに移行する話は↑に詳細に。ちょっと発売が古い書籍ではありますが、日本のコンストラクターも頑張ってみましたと、読まれることを、お勧めしたいです。

 うん?なんと「グッドウッド・フェスティバル・オブ・スピード」でピーター・ガンレイが乗った仕様も発売ですか。こうなりゃぁBスペックまで行く”過程”モデルも欲しいぞ。現地の人間が試行錯誤したマシンも。フロント・ウイングが中央から割れちゃうマシンとか(それじゃぁブルムだ!)。ホンダだけが日本代表ではない、何だか個人的に理解してほしいなぁ、なんて。売れ行きは芳しくないみたいで、本当に残念!。

2016年3月 2日 (水)

漠然たる”アメ車”願望

 ”アメ車”・・・「排気量にサスペンションが付いて行けないから、発進時まっすぐ走らないんだよね」「何、あのデザイン。頭おかしくないか」、そんなイメージを抱かされる”アメリカ車”(「お前だけだよ!」かも)。とにかくデカイ車、ジャイアント馬場じゃないと日本人には合わないサイズ。

  当然、今は違います、と言うかデザインに関しては”古き良き時代”のオマージュでもありますけども。潰れないのは政府のお蔭。

 が、ですね。これが映画やドラマの世界になると、ガラリとカッコよく見えてしまいます。好きな映画「ブリット」のマスタングGTだったり「ブルースブラザーズ」ダッヂ・モナコ 高速パトカーだったり「刑事スタスキー&ハッチ」しかり。実際に乗ってみると恐らくは”ホットロッド”。じゃじゃ馬慣らしだったりするのですが。「昔からニューヨーカーはほとんどアメ車に乗らない」なんて言われまして。ようは”役にたたん”と。

Img_2736GREENLIGHT
ポンティアック・ファイヤーバード・トランザム 1979
”キル・ビル”

 今考えますと、よくもまぁ恥ずかしげもなく、ボンネットに鳥の絵を描いたものだ、と思いますが。「ロックフォードの事件メモ」もトランザムでした。キル・ビルでは主人公”ブライド”の愛車でした。その前に”プッシーキャット”ワゴンを奪いますが。

 私は当然”イタ車”が欲しい、否フェラーリが・・・と言う非現実な部分は置いておきまして。現状は会社リースによる国産車が愛車です。もし自分の車を、と考えるとポルシェを考えますが、でもこれまた夢かな?。現状のコレクション・メインでは維持費も出ない・・・。

 ならば「古いアメ車買ったろうか!」とたまに思うのですが、やはり魅力は”映画内”だけな気がします。これ面白いのが「欧州車には金かけたい」と言う愛好家が国内には多い。アメ車はいても超マニアの世界ですもんね。でも昔のマスタングGTとかを自由自在に操って・・・面白くないですかね?。でも買わないだろうなぁ、やはり。

 日本だけなんですよね、キッチリ作っていたのは。英国から自動車メーカーが消えたのもそんな理由です。ドイツ車は日本でも人気があります。以前にも書いていますが「ドイツ人は不器用が多い。だからキチンとしたモノが無いと使えない」なんて言われます。これは車だけでなく道具にもいえますね。だから高い。

 まぁアレコレ考えるのは面白いものですが、働いているうちはどうしようも出来ないなぁ。

 
 
 

2016年2月 3日 (水)

買えなかった!しかし

 以前に書きました

177731GREENLIGHT 1/18
フォード・マスタング コブラⅡ
”チャーリズ・エンジェル”
ジル・モンロー

 フィギュア付き、これが最近国内発売されたようですが、完売とか!。確かに見付からない。と探しておるのですが、どうやら3月に追加が国内に入って来るようです。早速頼みました。が、アメトイ店です。PMA F1よりも安い。確かに出来は他社に比べれば落ちますが、雰囲気重視ならば否、ジルつきですからね。そう考えるとPMAの価格高騰は改めて「なんで?」と思うわけですが。

 不思議なんですよね、こういった商品、映画劇中車って専門店での取り扱いが少ない。結局アメトイ店頼み。不思議です。今はGREENLIGHTはLG55と言う会社が代理店になっているみたいです。

 が、ですね。ジル・モンロー役ファラ・フォーセット・メジャーズに似ていなさそうで。このモデルはジル・モンローありきなんで。海外ショップの画像も上手く見えないようにしてあります(?)。また「ブリッド」同様に、でしょう。

 しかし今考えますに、この車はパワーがあり過ぎてまっすぐ走らせるのが困難だったとあります。重ステ、重アクセルで女性に運転できるかよ?、なんて。

 しかし、それがドラマでありますよね、あまり目くじら立てていると頭おかしくなります。替え玉のスタントは男性で、近影は普通のマスタングだったらしいですが、実際に走らせるのではなく、クレーン車が引っ張っていたらしいですが、ありえそうでホンマかいな?です。

2015年12月 9日 (水)

見事な復活かと

 最近”売れている”メーカーは

00039316_photo1イグニッションモデル

 なんだそうで。ご存知の通り、hpi社がミニカー撤退した後に継続したメーカーさんです。当初はhpiの焼きまわしからでしたが、最近は70年代国産車、それも今も人気のある車種を選択していく。即完売が当たり前のモデルも多々あるようです。

 私は、このあたりはストライク・ゾーンではないので、ニッサンGr.Cに目が行きますが、正直なところ”お値段”の問題と他社のリブートが多いので、ほとんど気にしていないメーカーさんでしたが、今では専門店の稼ぎ頭なんだそうで。

 ちょっとメーカー・コンセプトを拝借

 すべてはミニチュアカーコレクターのためにというコンセプトで立ち上げられたイグニッションモデルは、お客様に共感いただける「価値あるモノ」「価値ある時間」を創造する日本のミニカーメーカーです。 「無駄なモノ」こそ「大切なモノ」とわかっていただけるモノ作りを目指しているイグニッションモデルは多くのミニチュアカーコレクターの共感を得ていまや人気No.1ミニカーメーカーといっても過言ではないでしょう。
その人気の要因は魅力的な車種選定と圧倒的なクオリティに起因しています。車の3Dスキャニング取材から正確なデータを取得。さらにはオリジナルデフォルメを加え、こだわりの造形&デザインでモデル化しています。

 スキャニングと言うと、鳴り物入りで始まったhpi社を思い出しますが。ただhpi社の様に「何が出したいのか?シリーズ展開するのか?。どこへ行こうとしているのか」ではないのは間違い無さそうです。「無駄なモノ」こそ「大切なモノ」と言うことですが、モデル自体に無駄は無さそうですが。SPARKを見ろ、あれは一体(こら!)。いやSPARKには逆に頭が下がりますけども。

 1台は結構なお値段ですが、それに見合ったクオリティなんでしょうね。でも私とは縁遠い車種ですので、ご縁は無さそうですが。しかしロードカー・ファンの中では今一番人気のメーカーなようです。

 別れてよかった、よく復活したと正直思います。当初は車種展開から「もたないなぁ」と思っておりましたので。

2015年11月26日 (木)

今ではありえませんね

 私はよく70年代後半から80年代のマシンを書くことがありますが、実は50年代のレースやマシンも好きでございます。全く知らない時代ですが、各チーム個性豊かなマシンが活躍し、F.J.ファンジオやアルベルト・アスカリが活躍したり、上昇チーム”シルバーアロー”が出現したり、と。映像は見入りますね。

Img_2376ノレヴ
ランチア D50
アルベルト・アスカリ
1955 モナコGP(多分)

 ランチアD50は1/43では”お初”モデルかな?。RBAが出していましたか?、ノレヴのカーナンバー違いか、ちょっと忘失しております。後のランチア・フェラーリD50(後述)はたくさん発売されておりますが。と言うわけで購入。

 さて1954年後半戦に高額なギャラを支払いアルベルト・アスカリと契約します。当時はダイムラー・ベンツ(メルセデス)W195”シルバーアロー”の時代。これを止めるのはアスカリしかいない。そしてランチアは当時としては革新的なマシンを誕生させます。

Schma_de_la_lancia_d50

ウィキペディアから画像拝借

エンジンをオフセットし、ドライブシャフトをずらすことで車高を低め、前面投影面積を狭くした、と。またエンジンとシャシーを結合することでストレスメンバーにした、と後にロータスが徹底的に行ったことの先駆けとも言われております。両サイドに燃料タンクを搭載し重量配分の適正化を図った、と。

 55年シーズンは十分にW196と戦える戦闘力を持っていましたが、アスカリがモンツァのテスト走行中に事故死します(アスカリ・シケインの語源)。するとランチアは資金難もあり、またエースを失ったことでF1シーンから消えます。わずか4戦しか走っていません。

 が、当時全くW196どころか他イギリスチームにも遅れをとっていたフェラーリ。これ勝っちゃった。今では考えられないこと。チームではなくマシンと機材を買って。技術陣も付いてきますが、当時の名エンジニア、ビットリノ・ヤーノが移籍したのは大きかったようですが。

 そして翌年、フェラーリD50は改良を受け大活躍。55年ルマンで大事故を引き起こしたメルセデスがレースから撤退したこともあり、またファン・マヌエル・ファンジオが移籍来たことで、見事ドライバーズ・チャンピオンを獲得。最終戦チャンピオン争いでトラブルでピットインしたファンジオにマシンを譲ったピーター・コリンズ、と言うのも、今では考えられないですね。

 フェラーリD50は今度はフェラーリ・エンジンに乗せかえられ、ボディワークも見直された、フェラーリ801として57年に登場しますが、これが全く走らない。これまたフェラーリらしい。

 ファンジオは高額なオファーでとっととマセラティに移籍しまたチャンピオンに。「お金で動く」、まぁプロとしては当たり前ですが、当時で最も速いマシン、これを観る目があったそうです。

 しかし、簡単なヘルメットとゴーグル、シートベルトなし、細いバイアス タイヤで当時ですら250km超えで走っていたんですから、これまた今では考えられない。

 しかし本当”シルバーアロー”復活ですね。来季止められるチームは出てくるのかなぁ。ワークスも減りましたしねぇ。

 

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